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2011年1月

うるおいを緑にこめて

室内では洗濯物が乾きにくいから湿度が高い。
そう考えている方も多いでしょうが室内は想像以上に乾燥しています。
(ちなみに室内干しが乾きにくいのは温度と空気の流れが悪いので)
この乾燥が身体(目や肌、のど等)に負担をかけるのは実感としてわかりやすいと思います。そのとき人間はその負担、不快に耐えるために身体のセンサーの感度を下げます。それによって不快だと感じなくなります(適応する)。
でも、それは同時に感性の感度も下げるということです。

ドラッカー(Peter Ferdinand Drucker)氏は「恐怖や迫害から生き延びるためには感覚の喪失は必要かもしれないが、物質的な豊かさがある程度実現している現代社会においては、感覚の喪失は危険な病でしかなく、阻害と非道を招くだけである。」と語っていたそうです。
都会が殺伐としているというのは、乾燥や空気の汚染、人混み、騒音などの不快なものが多すぎるから、みんなが感度を下げて耐えた結果、他人の気持ちにも鈍感になっているからではないかと思います。
そういったことを感じて「東京砂漠」や「ドライな人間関係」という表現が生まれたのでしょう。
お店や会社であればお客様や社員。家庭であれば家族はそういった空気を認識はしていないかもしれませんが、感じています。

私たち四緑園のお届けする小さな緑で空気をかえられる。
社会にうるおいを、
全ての人にうるおいを、
絶え間ない小さな革命が四緑園の使命です。

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2011年2月

乾燥していても、うるおっている

うるおいは空気中の湿度のような物理的なことだけではなく
「うるおいある生活」だとか
「心のうるおい」というように非物質的(生活や心)にも必要です。
うるおっている状態を「瑞々しい」と表現することがあります。
例えば「瑞々しい感性」。
感性にもうるおいがあるのです。
うるおいは湿度だと言うのであれば、加湿器の方が植物よりうるおす力は勝っている。
そう言う人はサプリメントにはレモン数十個のビタミン、レタス数個分の食物繊維が入っているからサプリメントの方が食品より勝っていると言うようなものです。
コンピュータとしてのコストパフォーマンス比較をすればアップル社のマッキントッシュは、ほとんど世界で一番レベルが低いと言えるかもしれない。
しかしアップル社は多くのユーザーに支えられている。
食べ物は味わうという点でサプリメントよりずっとウエットな存在だと僕は考える。
マッキントッシュは快適なユーザーインターフェースを提供している点で他社のパソコンよりウエットなコンピュータだと僕は考える。
食べ物にはサプリメントより多くの水分が含まれているとか、マッキントッシュが他のコンピュータよりしっとりとしているとか、そんな話ではない。
そういう、はっきりと表すことの出来ない部分に「ウエットなもの(うるおいを与えてくれるもの)」があるのだと考える。
専門家によるエビデンスをとって数字(データ)で優れていることを証明する。そんな活動が各分野で目立っている。そうやって感性の部分をデータ化していくと、ドンドン乾燥していく。
まるで目の前でリンゴが乾燥させられ、さらに粉末にされて、最後に栄養があると証明書をつけられて(場合によっては不足する成分が加えられ)最後に水に入れてリンゴジュースにして飲むような気分になる。
四緑園の追求する「うるおい」はそんな方法では感じられない。
文章で伝えられるのは、ここまで

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2011年3月

想いを共有するために

四月一日に緑の壁のウェブサイトを現在の仮のものから更新します。
それは宣伝のためというよりは必要に迫られているからなのです。

弊社の価格設定は「適正利潤以上は頂かない」という哲学を持っています。
それどころか遠隔地(関東や関西の主要営業エリア)であっても、
その移動にかかるコストは(弊社にとってはコストだけれど)お客様にとって無関係であれば金沢のお客様と同じ価格でサービスしたりもしています(当然赤字に)。

近年「四緑園さんは見積もってもらったら意外と安いので驚きました」とか
「相見積してみたらイニシャルコストもランニングコストも四緑園さんの方が安かった」と言われることが増えてきました。
そうなると「緑化されていればいい」という考えの方が、
「コストの安さ」を理由に四緑園の緑の壁を選ぶ可能性がでてきたのです。
かといって「世間相場から見て安いなら値上げしよう」というわけにはいきません。

そこで四緑園のメッセージをきちんと発信しようと思ったのです。
私たちが提供する「緑の壁」は「壁面緑化」とは違うのだということ。
どのようにしてお客様との関係を構築していきたいのかということ。
そういった事をお客様と共有して、初めて「いい仕事」が出来ると思うからです。
新しいウェブサイトをお楽しみに

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2011年4月

想いの違い

緑の壁のウエブサイト(midorinokabe.com)を更新しました。
これまで園芸ビジネスを行う会社のウエブサイト(パンフレット)では

1、
施工1年以内の綺麗な状態の写真だけを掲載。
2、
技術やコストに関しての情報を中心に掲載。
3、
春か夏の(続に言う)いい季節の写真だけを掲載。

緑の壁のウエブサイトでは

1、
施工後の経年変化を継続的に掲載
2、
技術やコストごとではなく季節ごとに掲載
3、
冬など一般的に見られたくないと考えられる時期の写真も積極的に掲載

これらを比較して頂くだけで
弊社だけが提供できる「緑の壁」と他の「壁面緑化」が提供しようとしているものや、目指しているもの
その違いを理解いただけるのではないかと思います。

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2011年5月

元気はどこからやってくるのか

「本当にしんどい時には、それどころじゃないんだけれども
少し具合が良くなると、お花が部屋に欲しくなるの
お花を見てると、ほんとに元気をもらえるのよ
わかんないでしょ。」

その日は久しぶりに元気な顔でご来店いただいたお客さんの言葉。
そのお客さんは、もうずっと病気を抱えている。
彼女の目には、花はどう映っているのだろう。

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2011年6月

職場に緑を

お店など、お客様を迎えるところでは緑はお客様のために飾られます。
だから来客の無いオフィスへの緑は贅沢だと経費削減の対象にされています。
ある尺度で(例えば狭義のビジネスマインド)考えれば「正しい」と思います。
しかし、この考え方には大切な人が抜けていないでしょうか。
それは「そこで働く人」すなわち自社スタッフです(自分自身も含めて)。
スタッフは、そこが不快でも逃げることもできません。
一時的であれば不快でなくても、長時間居ると不快だということもあるでしょう。
そうなると一時しか居ないお客様よりも、長時間居なくてはならないスタッフのことを、もっと考えたほうが良いかもしれません。
人は不快な空間に身を置くと、身を守るために感性の感度を下げます。その結果「気の利かない人」になってしまいます。そうするとお客様からの評判が下がるだけでなく、スタッフ同士もギクシャクします。
良いお店は「時間・空間・人間」の3つの間(ま)が良いといいます。
緑の力で空間と人間にうるおいを与えることができれば、サービスそのもの(時間も含まれる)も変わるでしょう。
「職場に緑を」という提案はお客様をお迎えするためでもあるのですが、それよりも「そこで働く人」のためにこそ必要だと感じます。
講師やコンサルティングをお招きしたり、デザイナーと改装工事をしたりすると「何か対策をした」という満足度はあるかもしれません。しかし本当に特効薬はあるのでしょうか。
僕は特効薬よりも、じわじわ効いてくる漢方薬のような「緑の力」のほうが結果的に効果が高いと信じています。


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2011年7月

沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす。
中学生のころに教科書で読み「それはどんな色や?」と調べた記憶がある。
沙羅(夏椿)の花の色は白色。
あぁ盛者必衰の色というのは白なのかと、特になにも考えずに納得したのを思い出す。
白く艶やかだった蕾が、やがて花を開く。その花弁は染みひとつ無い透明感さえ感じる白。しかし、やがて茶色くなりボタリと落ちる。
この色の変化のことを盛者必衰と言っていたのだと(当時は考えなかったけれども)気付く。
しかし現在の社会は「花が枯れる」ということは起こらないとでも言う様なコントロールされた植栽、お庭、屋上及び壁面緑化など。その究極はイミテーション(造花)だし「この盆栽は一ヶ月くらいは死なないでいますか?」と聞く人も居るくらい。
「未来」に対する想像力が弱いというか、時間に対する射程距離が短いというか。
それでは「想定外=考えていませんでした」となるだろう。
園芸業界の極一部ではあるが「福島にヒマワリを」という話を聞く。ヒマワリが放射性セシウムを(多少)吸収するから土壌汚染対策にということらしい。
きっと美しいヒマワリが一面に咲いて、土壌が綺麗になってハッピー
そんな風景が目に浮かんでいるのだろう。
その後のヒマワリはどうなるのだろうか。これが「お話」であればそこでエンドロールというところだが現実はどうか。ヒマワリは永遠に咲き続けるのだろうか。
その先の処理は想定外ということだろうか。そういう考え方=生き方を変えるときではないのかと「白」が内包している「未来」が伝えているように思えてならない。
もう、あの人のいる東北でも沙羅の花が咲いているのだろうか


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2011年8月

緑-緑=緑

植物のことを「緑」と呼ぶ。
しかし、植物を写した白黒写真であっても、私たちはそれを植物であると認識する。
緑と呼ぶにもかかわらず、植物の本質は緑色であることではない。
現に緑ではなくて、赤や紫の葉色をした植物もある。
そこで考えたのが「緑-緑=緑」緑は色を奪われても緑なのだ。
それで植物の本質は形にあるのではないかと考えてみた。
(それも一面でしかないのではあるが)植物の形を見てもらうことができたらいいなぁと考えた結果、植物の後ろに壁があれば、植物の形がよりはっきりと見えるのではないかと思いつく。
そうか掛花がいいかもしれない。
と、現在弊社の運営するG-WING’S galleryで開催中の(8月3日水曜まで)「掛花展」を企画した。
植物の姿を見に来てください。


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2011年9月

緑化を文化に育てる仕事

去る5月6日に園芸研究家の江尻光一さんが亡くなった。
江尻さんは雑誌サライの5月号で写真家の今森光彦さん、慈照寺の華務花方(かむはなかた)を務める珠寶(しゅほう)さんと「花を知ることは、いのちを知ること」と題して鼎談をされていた。そこから抜粋(江尻さんの言葉を中心に)

コブシのような木は二分咲きから三分咲き、やがて満開となって散るまでが農耕の目安で、農事暦なわけです。ところが、現代人は花びらしか見ていないような気がします。
蕾にはこれから開くという暗示がある。日本人は、そこにひとつの命を感じていたのではないでしょうか。
虫や花を観察することで生きることと死ぬこと、そのすべてを引き受けての生け花だと知りました。苗を買ってきて、花が枯れたらゴミ袋に突っ込むというような安易な関わり方では植物の命はわからない。
西洋では花芽もない苗を植え、花と出会う時間の経過を楽しむのです。それに比べて、現代の日本人は花の咲いた株を買ってきて、取っ替え引っ替え、色とりどりの“模様花壇”を作っている(笑)
古来、日本人は育つのをじっと待って耐えてきたんです。古人に倣って、草花との付き合い方も原点に戻るべきですね。

植物を「美しい」とか「珍しい」という視点でどこかから買って、もしくは採ってきて飾る。それも楽しい。
けれども、それは安易な緑化と変わらないんじゃないか。
植物のディスプレイや緑化(緑花でリョクカと言っている人もいる)をしている人は数多いるが、緑化から「緑の文化」まで深めようとしている人とは中々出会えない。
「緑の壁」を「壁面緑化」と区別している理由もそこにある。


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2011年10月

「纏める」と「繕う」

文化が育つのを待つことの出来ない時代。
そんな時代は、もう終わりにしたい。
これからは文化を育てる時代にしたい。
それはブランドを育てるということではない。

デザイナーのデザインで繕うのではなく、
非デザインの、例えば昔ながらのつくり方でつくる。
なにか特別な品質保証や、ブランドロゴをつけたり、
学会認定のようなエビデンスで繕わない。
特に手仕事や天然材料が均一に品質保証できるわけがなく、
不均一というゆらぎがあるのは当然なのだ。
そういった良さを紹介し、少しでも文化を育てる姿勢でありたい。

G-WING‘Sでは、そんな思いで
「ガベと呼ばれる絨毯」を紹介してきました。
今年で10年目になります。

「ガベと呼ばれる絨毯展」
2011. 10. 6(木) – 12(水)

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2011年11月

花や緑、環境の仕事を志す君へ

以前に東京の有名フラワーショップさんから、
壁面緑化について協力して欲しいというお話があった。
この手の話は少なくない。
そのお花屋さんはファッション誌やインテリア雑誌にもよく掲載されているし、モデルさんや女優さんといった有名人・芸能人のお客さんも多いという。
そのお店のスタッフさんへ「この植物の花はとても良い香りがしますね」
と僕が言ったら、スタッフさんは「そうなんですか、うちではすぐ売れていくので、私は咲いたのを見たことがないんですよ」と仰った。
経営的に見れば、そのお花屋さんの方が四緑園より儲かっているだろう。
きっとスタッフさんの給料も四緑園より良いのだろう(東京だからということもあるけれど)。
ビジネスの視点から見ればそのお花屋さんのほうが「良い会社」だろう。
きっと多くの学生さんの目には四緑園より、そのお花屋さんの方がずっと魅力的に写るのだろう(だってテレビや雑誌にもよく出るし、芸能人のお客さんとお話もできて、給料も多分高いんだから)
お花屋さんは咲くか咲かないかという段階の花をお客さんに渡したら仕事は終わり。
これは特に人気のあるお花屋さんに多いのだけれども
お花屋さんの仕事には「人間の時間」だけがあって「植物の時間(生命の時間)」が無い(少ない)と感じる。
もう少し丁寧に書かないと、全国のお花屋さんに怒られるだろうなぁ。
植物に関しての考え方や、環境の捉え方に大きな壁を感じる。
既存のものを、なんとかして生かすという意味では、僕らの考えはお花屋さんよりもコンピューターエンジニアさんの仕事の方が近いと感じる。
どちらが良いとかいうのではなく「植物とどう付き合いたいか」ということ。
みなさまの活躍をお祈り申し上げます。

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2011年12月

「園」と「苑」~言葉を逆行する~

四緑園の「園」であり、園芸の「園」。
「苑」じゃ駄目だったのだろうかと考えてみた。
そうすると面白いことが解る。
「園」と「苑」の違いは大雑把に言うと囲いがあるかないか。
そんなの区別する必要があったのかしらと思っていたら、英語でも区別されていた。
「園」が[garden]で「苑」は[park]
ついでに園芸学も調べてみる。
園芸学は[horticulture]で[horti-]は四角、[culture]は文化だから、
四角く囲んだところを耕す文化ということ。
園芸というのは人間が四角く囲んで管理をするということが前提なのだ。
つまり自然じゃない。
園芸学が「園芸学」であり「苑芸学」でないのと合致した。
さて、ここまで調べただけでも四緑園という名前との話が色々と浮かんでくるのだけれど、今回は英語の話でまとめていく。
[art]の語源は[artificial]すなわち「人為」ということ、それは人が手を差し伸べるという意味。逆に言えば「人が手の差し伸べるという行為」そのものが実はアートであるということ。現代では「苑」も人によって管理されているけれども、どちらかというと「園」こそが管理しているという意味を強く持っていた。
「苑」(苑藝)ではなくて「園」(園藝)であるということが、よりアートなんだという意思を感じる。
四緑園という名前の中に強いアート性が含まれているのだとすれば、それに恥じない仕事をしなければと思う。
そういえば[work]は仕事という意味以外に「藝術などの作品」という意味や「(田畑を)耕す」という意味もある。